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『エディントンへようこそ』ネタバレ感想!ひどい?意味不明?ラストの考察とあらすじ解説【アリ・アスター】

映画
 

『エディントンへようこそ』ネタバレ考察・感想!結末とあらすじ・キャスト・AIバグの意味を徹底解説!

こんにちは!YOSHIKIです!

ついに、この日がやって来てしまいました。
映画ファンの心を(色んな意味で)破壊し続けてきた「トラウマメーカー」、アリ・アスター監督の最新作。
『エディントンへようこそ』が、本日より日本公開スタートです!!

『ヘレディタリー/継承』で家族の地獄を見せられ、『ミッドサマー』で祝祭の狂気に飲み込まれ、『ボーはおそれている』で悪夢の帰省に付き合わされ…。
「もう勘弁してくれ!」と言いながら、僕たちはまた映画館に向かってしまうんですよね。(完全に中毒です)

ですが、今作はこれまでのホラーとは一味違います。
舞台はなんと、パンデミック下の2020年
そしてジャンルは、「炎上スリラー」!?

主演は『ジョーカー』のホアキン・フェニックス
対するは『マンダロリアン』のペドロ・パスカル
さらにエマ・ストーンオースティン・バトラーって、キャストが豪華すぎて画面が割れませんか!?

「暴力、陰謀論、SNSの暴走」。
かつてないほど「現代の闇」に切り込んだ、アリ・アスター流のネオ・ウェスタン。
僕たちの精神は、果たして無事に映画館から出られるのか?
覚悟を決めて、狂気の町「エディントン」へ入村しましょう!

【このブログの楽しみ方について】

いつも『YOSHIKIのMOVIE SELECTION’S』を読んでくれて、本当にありがとうございます!
このブログでは、読者の皆さんと「作品を待つワクワク感」から「観終わった後の語り合いたい気持ち」までを共有するため、【随時更新】というオリジナルの記事スタイルを採っています。
これは、僕が考え抜いた、みんなと最高の映画体験をするための形です。
この記事は、公開後に【ネタバレなし感想】、【ネタバレあらすじ結末解説】、【ネタバレあり考察】と段階的に更新していきます。
ぜひ、この記事をブックマークして、映画館に行く前、そして観終わった後にもう一度訪れてください!
この場所で、作品の感動を語り合い、一緒に物語の「終い」を見届けましょう!
 

🟡『エディントンへようこそ』基本情報!

YOSHIKI
YOSHIKI

アリ・アスター × A24 × ホアキン・フェニックス。
この組み合わせだけで、もう「事件」です。
そして日本版ポスターは、おなじみヒグチユウコさん&大島依提亜さん!
美しくも不気味なアートワークにも注目です。

項目詳細
タイトル『エディントンへようこそ』
(原題:Eddington)
監督アリ・アスター
(『ミッドサマー』『ヘレディタリー/継承』)
キャストホアキン・フェニックス
ペドロ・パスカル
エマ・ストーン
オースティン・バトラー
上映時間148分(PG12)
日本公開日2025年12月12日(金) 全国ロードショー

🔵公式予告編

 

🟡【ネタバレなし】公開前に知るべき!本作がヤバい3つの理由!

今度の恐怖は「人間」と「SNS」!?
カルト教団も悪魔も出てこない(多分)。
でも、間違いなくアリ・アスター史上「最も不快で、最も面白い」2時間28分が待っています。
なぜこの映画が「炎上スリラー」と呼ばれるのか?その理由を解説!

①「2020年の悪夢」再び。マスク論争が殺し合いに発展!?

この映画の舞台設定を聞いて、背筋が凍りました。
「パンデミック下の2020年」
まだ記憶に新しい、あの閉塞感とピリピリした空気。
「マスクをする・しない」で睨み合ったり、ネットで陰謀論が飛び交ったりした、あの日々です。

アリ・アスター監督は、あえてこの時代を舞台に選びました。
主人公の保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)と、野心的な市長(ペドロ・パスカル)の対立の発端も、なんと「マスク着用トラブル」。
これ、笑い事じゃありません。
些細な価値観のズレが、SNSを通じて拡散され、憎悪が増幅し、やがて町全体を巻き込む暴動へと発展していく…。
「これ、つい最近見た光景だ…」と、僕たち自身のトラウマをえぐってくること間違いなし。
癒やしなんてありません。
あるのは冷徹な「現実の鏡」だけです!

②全員主役級!「演技の怪物」たちが狂気を競い合う

キャスティングが本気すぎて怖いです。
主演は『ジョーカー』で世界を震撼させたホアキン・フェニックス
今回は、時代の変化についていけず、自身の正義を暴走させる頑固な保安官を演じます。
対する市長役は、『THE LAST OF US』や『マンダロリアン』で「国民的パパ」として愛されるペドロ・パスカル
この二人がバチバチに対立するんですよ!?
「ジョーカー vs マンダロリアン」の頂上決戦、見たくないわけがない!

さらに、脇を固めるのが『哀れなるものたち』のエマ・ストーンと、『エルヴィス』のオースティン・バトラー
特にエマ・ストーンは、閉鎖的な生活の中で徐々に精神を病み、陰謀論に染まっていく主婦を怪演。
「普通の人が狂っていく過程」を、あの大きな瞳でどう表現するのか…。
画面のどこを見ても「演技の怪物」しかいない、贅沢すぎる地獄です。

③新ジャンル「炎上スリラー」!西部劇 × SNS社会の闇

本作のジャンルは「ネオ・ウェスタン」。
荒涼とした砂漠、保安官、銃。見た目は完全に「西部劇」です。
しかし、そこで繰り広げられる戦いは、銃撃戦以上に「情報の暴力」がメイン。

SNSでの誹謗中傷、フェイクニュースの拡散、扇動的なインフルエンサーの言葉。
物理的な暴力と、ネット上の炎上が同時進行で町を焼き尽くしていく様は、まさに「炎上スリラー」
ヒグチユウコさんが描く日本版ポスターの、美しくも歪んだ世界観が示す通り、これは単なるアクション映画ではありません。
アリ・アスター監督が仕掛ける、現代社会への痛烈な風刺とブラックユーモア。
笑っていいのか、怖がればいいのか分からない。
感情がグチャグチャにされる体験が待っています!

 

🟡『エディントンへようこそ』キャストとあらすじ!

YOSHIKI
YOSHIKI

撮影監督はダリウス・コンジ!
『セブン』や『アンカット・ダイヤモンド』の映像美で知られる巨匠です。
砂漠の乾いた空気と、夜の不気味な暗闇…。
映像だけでも観る価値アリです!

●ジョー・クロス(演:ホアキン・フェニックス)
ニューメキシコ州の小さな町エディントンの保安官。
昔気質の頑固な性格で、パンデミックによる変化を受け入れられない。
マスク着用を巡るトラブルを機に、自身の「正義」を証明するため市長選への出馬を決意するが、それが破滅の始まりとなる。
●テッド・ガルシア(演:ペドロ・パスカル)
エディントン市長。
リベラルなエリート層を象徴し、町の近代化や企業誘致を推進している。
一見理知的だが、その「正しさ」が逆に住民の反感を買い、ジョーとの対立を深めていく。
●ルイーズ・クロス(演:エマ・ストーン)
ジョーの妻。
ロックダウンによる閉塞感と夫との関係悪化から孤独を深める。
心の隙間を埋めるようにSNS上の過激なインフルエンサーに傾倒し、徐々に現実と妄想の境界を失っていく。
●ヴァーノン・ジェファーソン・ピーク(演:オースティン・バトラー)
カルト的な人気を誇る動画配信者。
「思考を取り戻せ」と過激な言葉で視聴者を煽動する。
直接手を下すことなく、言葉巧みに人々の不安を操り、町を混乱に陥れる現代的なヴィラン。

『エディントンへようこそ』【あらすじ】

2020年5月。新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中がロックダウンの閉塞感に覆われていた頃。
ニューメキシコ州の荒涼とした砂漠にある小さな町、エディントンにも不穏な空気が漂っていた。

町を守る保安官のジョー・クロス(ホアキン・フェニックス)は、変化する社会ルールに馴染めず、苛立ちを募らせていた。
ある日、彼はマスクの着用を巡って、以前から対立していた市長のテッド・ガルシア(ペドロ・パスカル)と口論になる。
この些細なトラブルは、ジョーが突如として市長選への出馬を表明したことで、町全体を巻き込む「戦争」へと発展する。

保守的なジョーと、革新的なテッド。
二人の対立はSNSを通じて拡散され、フェイクニュースや陰謀論が飛び交う中、住民たちの憎悪は制御不能なレベルまで増幅していく。
そして、ネット上の「炎上」が現実の暴力へと変わった時、エディントンは血と狂気にまみれた地獄と化す――。
誰もが正しく、誰もが狂っている。
この町で、正気でいられる者は誰か?

 

🔴Netflix『エディントンへようこそ』ネタバレなし感想

映画館から出てきた今の率直な気持ちを書きます。
「うーん……正直、よく分からなかったです(苦笑)。そして疲れました!」

いやー、期待してたんですよ。
『ミッドサマー』のアリ・アスター監督だし、ホアキン・フェニックスだし。
でも、前作『ボーはおそれている』が個人的にハマらなかったので、一抹の不安を抱えつつ観に行ったんですが……
「やっぱりダメでした!!」

最初に言っておきます。
前作の「置いてきぼり感」が苦手だった人は、今回もかなり危険信号です。

舞台はパンデミック下の2020年。
マスク警察とか、陰謀論とか、当時のアメリカの空気感を描いている序盤は「おっ、社会派で面白いかも?」と思ったんです。
でも、そこからが問題。
主人公のジョー(ホアキン)に、全くと言っていいほど感情移入できないんです。
彼がひたすら空回りして、自業自得で状況を悪化させていくのを見せられるのは、もはや修行に近いストレスでした。

そして一番の不満点は、「風呂敷を広げっぱなし」なところ。
色々と事件が起きるし、途中からミステリっぽい展開にもなるんですが、それらが何一つスッキリ解決しないまま、ズルズルと事態だけが拡大していくんです。
「え、あの伏線は?」「あの事件はどうなったの?」とモヤモヤしている間に、また次の騒動が起きる。
正直、途中でついて行けなくなりました。

リアリティの面でも、「普通あそこまでなる?」という疑問が拭えません。
いくら田舎町とはいえ、あれだけの大暴動になったら、FBIとか州兵とか飛んでくるでしょ!?と(笑)。
その辺のツッコミどころもノイズになって、没入できませんでした。

監督が「社会問題を詰め込みました!」というのは分かります。
でも、詰め込みすぎて主題がボヤけてしまった印象。
「普遍的なテーマ」をアリ・アスターがやることに違和感というか、「別にこれ、アリ・アスターじゃなくても良くない?」と思ってしまったのが正直なところです。

💡YOSHIKIの正直ポイント!
映像は綺麗です。
ダリウス・コンジの撮る砂漠は最高でした。
でも、映画としては「ピンとこなかった」というのが本音。
考察好きな人や、監督の熱狂的な信者なら楽しめるかもしれませんが、普通のエンタメを期待していくと、僕のように肩透かしを食らうかもしれません。
これから観に行く方は、ハードルを下げて、「わけのわからないものを浴びに行く」くらいの気持ちで挑むことをオススメします!

 

🔵『エディントンへようこそ』各項目別10点満点評価とレビュー

ストーリー
6/10
風呂敷を広げっぱなしで消化不良。
色々な事件が起きるものの、どれも解決しないまま事態だけが悪化していくので、正直置いてきぼりを食らいました。ミステリ的な展開も期待させた割に肩透かし。「テーマを詰め込みすぎてボヤけた」という印象が拭えません。
映像
7/10
綺麗だけど、それだけでは…。
ダリウス・コンジの撮影は確かに美しく、砂漠の荒涼感も出ています。ただ、ストーリーの推進力が弱いため、途中からただの「綺麗な風景画」を見せられているような気分に。映像美だけで148分を持たせるのはキツいです。
余韻
8/10
モヤモヤ感だけは一級品。
スッキリしない終わり方なので、悪い意味で心に残ります。「結局あれは何だったの?」という疑問がグルグル回る感じ。これを「考察の余地」と捉えるか、「投げっぱなし」と捉えるかで評価が分かれるところ。
リピート率
4/10
もう一度観る気力はない。
とにかく主人公に感情移入できないので、この不快な時間をもう一度体験したいとは思えません。伏線を確認したい気持ちよりも、徒労感の方が勝ってしまいました。
キャスト
7/10
熱演だけど、キャラに魅力がない。
ホアキンもペドロ・パスカルも演技は上手いんですが、いかんせん演じているキャラクターがどいつもこいつも魅力的じゃなさすぎる。「凄い演技」だとは思うけど、「好きな演技」にはなりませんでした。
総合
6.5/10
正直、個人的にはあまりピンときませんでした。前作『ボー』がダメだった人は、今回も厳しいかも。社会問題や陰謀論を詰め込みすぎて、エンタメとしての芯がブレてしまった印象。期待していただけに残念!
 

🔴『エディントンへようこそ』ネタバレあらすじ結末解説

⚠️【警告:ここから先はネタバレ全開です!】
物語の核心部分、ジョーの凶行の詳細、そして衝撃のラストシーンまで、事実に基づいて記述します。
映画を未見の方は、絶対にスクロールしないでください。

①対立の発端:マスク着用を巡る「逆ギレ」が全ての始まり

物語の舞台は2020年5月、ニューメキシコ州の田舎町エディントン。
コロナ禍の真っ只中、市長であるテッド・ガルシア(ペドロ・パスカル)は感染対策として厳格なマスク着用ルールを敷いていた。
しかし、保守的な保安官ジョー・クロス(ホアキン・フェニックス)は、「俺は喘息持ちだ」と言い訳をして頑なにマスクを拒否。
同僚に注意されて渋々つけるフリをしては、すぐ外すような態度を続けていた。

ある日、ジョーはスーパーでマスク着用を拒否して店員と揉める客を、「個人の自由だ」と擁護する。
あろうことか、その様子を撮った動画がネットでバズり、ジョーは反マスク派や陰謀論者たちから「自由の戦士」として熱狂的な支持を集めてしまう。
これに気を良くしたジョーは、勢いそのままに次期市長選への出馬を動画で表明。
その動機の裏には、妻ルイーズ(エマ・ストーン)と市長テッドの間に過去、何らかの関係があったことへの嫉妬心も渦巻いていた。
さらにジョーは、過激な陰謀論系配信者ヴァーノン(オースティン・バトラー)に心酔し、彼を自宅に招き入れるほど深く感化されていく。

②泥沼化する中傷合戦と自滅

ジョーは選挙パフォーマンスとして、BLM(黒人差別反対運動)のデモ隊を解散させようとするが、参加者の挑発に乗って暴力を振るってしまう。
その決定的瞬間をテッドの息子エリックに撮影・拡散され、ジョーの立場は一気に危うくなる。

追い詰められたジョーが選んだのは、最悪の一手だった。
彼は仲間と共謀し、「テッド市長が過去にルイーズへ性的暴行を働いた」という嘘の告発動画を制作・公開したのだ。
しかし、これを見た妻ルイーズ本人が即座に否定動画を投稿したことで、ジョーの捏造は白日の下に晒される。
完全に信用を失ったジョーを残し、ルイーズはヴァーノンと共に町を去ってしまう。

③暴走する殺意と「偽装工作」

全てを失ったジョーは、テッドの選挙資金パーティーに乗り込み、「騒音苦情」を口実に嫌がらせをするが、テッドから無言の平手打ちを食らい、公衆の面前でプライドを粉々にされる。
その夜、怒りが沸点を超えたジョーは、憂さ晴らしにバーへ不法侵入し、居合わせた浮浪者ロッジを射殺。
遺体を川へ遺棄する。
だが、彼の殺意はそれでは収まらなかった。
ジョーは遠距離からスナイパーライフルでテッドとその息子エリックを狙撃し、殺害。
さらに現場を「過激派グループの犯行」に見せかける偽装工作を行い、テッドが持っていた懐中時計を戦利品として盗み去る。

④武装集団の襲来とスケープゴート

その後、エディントンに不穏なプライベートジェットが到着する。
降り立ったのは、BLMの看板や重火器を携えた謎の覆面武装グループ。
彼らは明らかに何者かに雇われ、扇動を目的としたプロの工作員たちだった。
一方、テッド殺害の捜査の手が伸びる中、ジョーは盗んだ懐中時計を黒人保安官マイケルの車に隠し、彼に罪をなすりつけて逮捕してしまう。

夜になると、武装グループが本格的な破壊活動を開始。
留置所からマイケルを拉致して荒野に放置する。
異変を察知したジョーと相棒のガイが現場へ向かうが、仕掛けられた地雷が爆発しガイは死亡。
武装グループはドローンを飛ばし、燃え上がる町と混乱する人々の様子を冷徹に記録して去っていく。

⑤結末:作られた英雄と「システム」の勝利

町で殺戮を続ける武装グループに応戦したジョーだったが、頭部をナイフで刺され瀕死の重傷を負う。
その絶体絶命の瞬間、BLMデモに参加していた少年ブライアンが武装グループの男を射殺し、ジョーの命を救う。

この劇的な救出劇はSNSで拡散され、1年後、ブライアンは「極右の英雄」として祭り上げられ、名誉勲章を授与されるほどの有名人となっていた。
町を去ったルイーズは、人気配信者となったヴァーノンの子供を妊娠し、彼の講演会を見守っている。

そしてエディントンでは――。
重度の脳損傷で植物状態となり、言葉も発せなくなったジョーが、なんと市長に就任していた。
豪華な公邸で車椅子に座る「お飾り」のジョー。
その横で実権を握り、代弁者として振る舞うのは義母のドーンだった。
ラストシーン、エディントンの荒野で、完成した巨大データセンターだけが人間たちの愚行を見下ろすように青白く輝き、物語は幕を閉じる。

 

🔴『エディントンへようこそ』ネタバレあり考察

YOSHIKI
YOSHIKI

あらすじを整理するだけでも、あの「モヤモヤ」が蘇ってきますね(笑)。
なぜFBIは来ないの? なぜ事件は解決しないの?
その「違和感」こそが、実はこの映画の正体なんです。
ここからは、僕が感じた消化不良感の「真犯人」を突き止めるべく、徹底的に考察を広げていきます。

🔵考察①:話が通じないのはワザと!?裏設定「AIのバグ」とは?

感想部分で「話について行けなくなった」「唐突すぎる」と書きましたが、もしかすると、それこそが監督の狙いだったのかもしれない……そんな気がしてなりません。
というのも、この映画の裏設定には、「AIのバグ(グリッチ)」という概念が深く関わっているように思えるからです。

劇中で建設されていたデータセンター。
あれに関連して、制作時のキーワードに「SolidGoldMagikarp(ソリッド・ゴールド・マジコイ)」という言葉があったそうです。
これは実在するAI研究の用語で、「AIに読み込ませるとシステムがバグって、意味不明な挙動を始める謎の文字列」のこと。
(ちなみに「マジコイ」はポケモンのコイキングのこと。ふざけてますが、現象としてはガチです)

アリ・アスター監督は、2020年のパンデミック下のアメリカを「巨大なバグを起こしたシステム」に見立てて描きたかったのではないでしょうか。
マスク騒動、陰謀論、分断。
これらは当時の社会システム(OS)では処理しきれない「入力エラー」だったのかもしれません。
ジョーが「Antifaが攻めてくる」という嘘(偽のデータ)を現実に流し込んだ結果、システムが暴走して、本当に武装集団が現れる(誤った出力が生成される)という展開。
これ、物語の整合性よりも「アルゴリズムの暴走プロセス」を描くことを優先しているようにも見えます。
だとしたら、僕たちが「話が通じない」「展開が読めない」と感じたストレスは、まさにバグったAIと対話している時の不気味さに近いものだったのかもしれません。

 

🔵考察②:主人公に共感できない理由。ジョーの末路は「有害な男らしさ」への公開処刑だった?

ホアキン・フェニックス演じるジョー。
本当に、最初から最後まで好きになれない主人公でしたよね(笑)。
でも、この「不快さ」こそが、このキャラクターの核だったのではないでしょうか。

ジョーは「古き良き西部劇の保安官」に憧れていました。
強く、尊敬され、町を守る男。
いわゆる「有害な男らしさ」の権化のような存在です。
しかし監督は、彼に活躍の場を与えるどころか、徹底的に惨めな姿を晒し続けました。
マスク着用で揉め、年下の市長に平手打ちされ、最後は妻にも逃げられる。
彼が暴走したのは、損なわれたプライドを取り戻したかったから。
ただそれだけだったように見えます。

そして極めつけがあのラスト。
彼は念願の「市長」になり、英雄として祀り上げられました。
しかし、その代償として、言葉も意思も奪われ、ただの「お飾り」になってしまった。
彼が求めたのは「支配」でしたが、彼が得たのは「完全な被支配」でした。
自分の意思でトイレに行くことさえできない状態で、永遠に「英雄」を演じさせられる。
これは、過去の栄光にしがみつき、変化を拒んだ保守的な男性像に対する、アリ・アスター流の「最も残酷な公開処刑」のようにも映ります。
死んで楽になることすら許されない。
だからこそ、見ていてこんなにも居心地の悪さを感じさせたのかもしれません。

 

🔵考察③:なぜFBIは来ない?エディントンという町自体が「巨大な実験場」だった説

感想でも書きましたが、「あんな大騒ぎになってるのに、州警察もFBIも来ないのはおかしい」と思いませんでしたか?
武装集団がジェット機で乗り付けてきて、町を焼き払っているんですよ?
普通のリアリティラインなら、即座に軍隊が出動する案件です。

しかし、ラストシーンの「データセンター」を見て、一つの仮説が頭をよぎりました。
「エディントンという町自体が、巨大なシミュレーション(実験場)だったのではないか?」
外部の介入が一切ないこと、ドローンが冷徹に撮影を続けていたこと。
それらは、この騒動自体が、データセンター(あるいは巨大テック企業)によって仕組まれた「ストレステスト」だった可能性を示唆しているようにも思えます。
「極限状態で人間はどう動くか」「デマはどう拡散するか」を観察するためのモルモットだったのではないか、と。
そう考えると、ジョーたちの必死の抵抗も、ルイーズの逃避も、すべては手のひらの上の出来事だったことになります。
僕たちが感じた「風呂敷が畳まれないモヤモヤ感」は、「外の世界(救い)なんて最初から存在しなかった」という絶望の裏返しだったのかもしれません。

 

🔵考察④:この騒動の「真の勝者」は誰?スッキリしないラストが描く「現代の地獄」

この映画、結局何も解決していません。
分断は深まり、憎しみは残り、悪人(と呼べるか分かりませんが)たちが権力を握ったまま終わります。
ジョーを利用する義母ドーン、カルトで成功するヴァーノン、そして全てを見下ろすデータセンター。
正直、カタルシスはゼロです。
評価が分かれるのも当然です。

でも、悔しいですが、これこそが「2020年から続く、僕たちの現実」なのかもしれない……そう思わされました。
パンデミックを経て、世界は仲良くなりましたか? 分断は解消されましたか?
されてませんよね。
むしろ、アルゴリズムによって見たいものだけを見せられ、異なる意見を持つ相手を悪魔化する傾向は強まっている気がします。
アリ・アスター監督は、映画の中で安易な「和解」や「解決」を描くことを拒否したかったのかもしれません。
「イデオロギーの対立さえも、巨大資本にとっては養分でしかない」
私たちがSNSで喧嘩をしている間にも、システムはデータを収集し、より強固になっている。
この「徒労感」を持ち帰らせることこそが、監督の真意だったとしたら……。
面白くはないかもしれない。
でも、あまりにも誠実で、恐ろしい「現代の鏡」だと言えるのではないでしょうか。
6.5点という辛めの点数をつけましたが、この「嫌な余韻」は、間違いなく傑作のそれだったのかもしれません(悔しいですが!)。

 

🔴『エディントンへようこそ』【完全版】まとめ!

●タイトルの意味:「エディントン」は、重力が光を曲げることを証明した科学者の名前。恐怖という重力が、真実をねじ曲げる町。
●ジョーの正体:変化を恐れ、自作自演で敵を作り出した「有害な男らしさ」の象徴。
●最大の恐怖:幽霊でも殺人鬼でもなく、「話が通じない隣人」と「暴走するアルゴリズム」こそが、現代のホラーである。

いかがでしたでしょうか?
『エディントンへようこそ』。
見終わった後のこの疲労感、そして胃の奥が重くなるような感覚。
これぞまさに「アリ・アスター体験」です!
「あー、面白かった!」とスッキリする映画ではありません。
でも、ふとした瞬間にこの映画のことを思い出し、「あれは今の日本のことかも…」とゾッとする日が必ず来ます。

ジョーの虚ろな目と、データセンターの青白い光。
この二つのイメージは、きっとあなたの脳裏にこびりついて離れないでしょう。

YOSHIKI
YOSHIKI

最後まで読んでくれてありがとう!
皆さんはジョーのラスト、どう感じましたか?「ざまあみろ」?それとも「可哀想」?
そして「マジコイ」の話、誰かに話したくなりませんか?(笑)
ぜひコメント欄で、あなたの「絶望体験」を聞かせてください!

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