【徹底比較】ドラマ『今際の国のアリス』は原作漫画とどこが違う?結末の違いから、チシヤの性格まで、全部分かります!
世界中を熱狂させたNetflixシリーズ『今際の国のアリス』。
でも、みんなは知っている?
この物語には、もう一つの顔があることを。
そう、麻生羽呂先生による原作漫画です。
ドラマ版のファン、そして原作からのファン。
その両方が、心の奥底で思っているはず。
「結局、どっちがどう違うの?」と。

この記事では、そんなみんなの積年の疑問に、僕の魂を込めて、徹底的に答えていくぜーー!
🔴そもそも『今際の国のアリス』原作漫画とドラマ版、どっちから見るべき?

まず最初に、よくあるこの質問に答えよう。
結論から言うと、「どっちも最高だけど、体験が全く違うから、両方楽しんでほしい!」というのが僕の答えです。
原作漫画は、登場人物たちの心の中を、これでもかというほど深く、ねっとりと描いている。
特に、主人公アリスの内面の葛藤や、チシヤの冷徹な哲学に触れたいなら、絶対に漫画を読むべきだ。
ドラマ版の魅力は、何と言ってもその映像。
誰もいなくなった渋谷のスクランブル交差点や、「げぇむ」の壮絶な描写は、まさに圧巻の一言。
物語も、より多くの人が楽しめるように、スピーディーで分かりやすく再構成されている。
もし時間に余裕があるなら、①ドラマ版シーズン1・2 → ②原作漫画 → ③ドラマ版シーズン3という順番が、個人的にはおすすめかな。
ドラマで全体像を掴んだ後、原作でキャラクターの深みにハマり、最後にドラマのオリジナル展開で度肝を抜かれる。
これが、最高の体験かもしれない。
🔴【世界観の比較】「今際の国の正体」は、原作とドラマで全く違う!
🔵原作漫画が描いた「今際の国」の、少し切ない正体
原作漫画において、「今際の国」は生と死の狭間に存在する中間領域として明確に定義されている。
その正体は、現実世界で心停止状態に陥った人々が体験する「臨死体験」の世界です。
物語の主要人物たちがこの世界に迷い込んだ直接的な原因は、東京上空で爆発し、渋谷に降り注いだ巨大隕石の衝突事故だった。
そして、物語の最後にアリスの前に現れる「ジョーカー」は、未来の敵じゃなく、この世とあの世の渡し守のような、哲学的な案内人として描かれている。
🔵Netflixドラマ版が描いた「今際の国」― 伏線としてのJOKER
Netflix版も、S2の最終話で「今際の国」の正体が、原作と同じく渋谷の隕石災害であったことを明かしている。
でも、ドラマ版はここで、極めて重要な戦略的変更を行った。
アリスとジョーカーとの哲学的な対話を完全に省略し、代わりに、物語の最後に一枚だけ残されたジョーカーのカードを不気味に映し出して、シーズン2を締めくくった。
これは、ジョーカーを物語の「結論」から、次なる物語を予感させる「伏線」へと、その役割を180度変えた、見事な脚色だった。
🔴【キャラクター比較】あなたの“推し”は原作とどう違う?
🔵有栖良平(アリス):より感情的に、人間臭くなった主人公
原作漫画のアリスは、平凡な日常や将来に退屈している男子高校生として描かれています。
一方、ドラマ版では年齢設定が引き上げられ、大学を卒業したものの定職に就かず、ビデオゲームに没頭する無職の青年として登場。
この変更、実はすごく重要なんです。
ドラマ版のアリスが抱える悩みは、より成熟したもので、Netflixの主要な視聴者層である僕ら大人が、より共感しやすいキャラクター像になっています。
彼の類稀なる洞察力や発想力も、単なるティーンエイジャーの才能から、熟練ゲーマーとしての戦略的思考力に裏打ちされたものへと再定義され、「今際の国」での彼のスキルに対する説得力を高めているんです。
ドラマは、完全な無気力状態から、仲間やウサギとの出会いを通して、生きる意味を見出していく彼の成長物語を、より色濃く描いていましたね。
🔵宇佐木柚葉(ウサギ):原作よりも深掘りされた、彼女の過去
尊敬する登山家の父の死というトラウマを抱える、卓越したクライマーであるウサギ。
その核となるキャラクター設定は、原作に非常に忠実です。
彼女の優れた身体能力と、アリスの精神的支柱としての役割は、物語全体を通して一貫していました。
ドラマ版のオリジナルストーリーであるシーズン3では、彼女自身の内なる「闇」や、父との記憶との関係性が、「今際の国」への再訪のきっかけとして、より深く掘り下げられることになりました。
これは、アリスと結婚し妊娠している続編漫画『RETRY』において、彼女の行動原理が家族を守ることに集約されている点とは対照的。
ドラマ版シーズン3は、彼女が単に未来の母親としてだけでなく、一人の人間として、過去のトラウマを完全に清算するための、最後の旅として描かれたんです。
🔵苣屋駿太郎(チシヤ):ドラマ版で“クールさ”が増した、最強の頭脳派
チシヤのキャラクター改変は、Netflix版の脚色戦略を最も象徴する事例です。
原作漫画のチシヤは、他者の生命の価値に全く関心を示さない、冷徹で非道徳的な人物。
ドラマ版の彼よりも、ずっと好感が持てないキャラクターとして描かれています。
一方、ドラマ版では、彼はより内向的なアンチヒーローとして描かれる。
腐敗した病院で働くうちに人間性を失っていった元医師、という悲劇的な過去が追加され、クイナとの友情など、人間味あふれる瞬間も描かれました。
そして、物語上の最も大きな変更点が、「どくぼう(♥J)」への参加。
原作では参加していないこのゲームの中心に、ドラマ版ではチシヤを据え、エピソード全体を彼の独壇場としたんです。
信頼と裏切りがテーマのこの「げぇむ」は、彼のキャラクター性を試す完璧な舞台となり、多くのファンから「シリーズ最高のエピソード」と評価されるほどの化学反応を生み出しました。
この変更が、彼をシリーズ屈指の人気キャラクターへと押し上げたことは、間違いないでしょうね。
🔵水鶏光(クイナ):彼女の過去の物語は、どう描かれたか?
クイナの、トランスジェンダーとしての過去や、母親との確執といった物語は、概ね原作通りに描かれています。
でも、ドラマ版では、チシヤとの間に、原作にはない親密な友情が描かれ、「心温まる瞬間」が加えられました。
そして、最も大きな違いが、物語の最後にあります。
現実世界への帰還後、病院で父親と和解するシーンが追加され、彼女の長い闘いの物語に、明確な「救い」と「カタルシス」がもたらされているんです。
原作のビターな読後感とは少し違う、ドラマ版ならではの優しい脚色でした。
🔴【げぇむ比較】最も残酷だった、あの「げぇむ」はどう描かれたか?
🔵♥7「かくれんぼ」:ドラマ版で、よりエモーショナルになった親友たちの最期
この「げぇむ」の基本的な前提と悲劇的な結末は、原作とドラマで完全に一致しています。
参加者4人のうち、1人の「オオカ-ミ」だけが生き残り、他の3人は隠れなければならないという裏切りの「げぇむ」。
最終的に、カルベとチョータはアリスを生かすために自らを犠牲にします。
ドラマ版の脚色は、俳優の演技と演出によって、最後の瞬間の映画的な緊張感と感情的な衝撃を、最大限に高めることに注力していました。
シブキの過去やカルベの職業といった細かな設定変更はあるものの、物語の序盤における悲劇として、またアリスの成長の起爆剤としての「げぇむ」の核となる機能は変わりません。
雨が降りしきる中、ヘッドセット越しに聞こえる親友たちの最後の言葉。
爆発の光に照らされるアリスの、絶望に満ちた表情。
ドラマ版は、このどうしようもない悲劇を、よりエモーショナルで、視聴者の記憶に深く刻み込まれる名シーンへと昇華させていました。
🔵♣K「すうとり」:原作の感動は、どこまで再現されたのか?
原作漫画では、この「げぇむ」は非常に長く、より詳細に描かれています。
最初の攻略の糸口を見つけるのは、現実世界でゲームエンジニアだったニラギであり、決着に至るまでの過程は、より複雑な戦略の応酬で構成されています。
一方、ドラマ版は、物語のテンポを重視し、「げぇむ」を大幅に簡略化。
クライマックスは、タッタの感情的な自己犠牲に焦点を当てる形で再設計されました。
彼はアリスに自らの手を砕かせて10,000点のポイントを持つ腕輪を外し、アリスがその腕輪を使ってキューマとの最後の接触バトルに勝利するという展開になっています。
この変更は、ドラマ版全体に見られる脚色の傾向を象徴しています。
すなわち、原作の長期的で多角的な戦略的戦闘よりも、単一で強烈、かつ感情に訴えかける、視覚的にドラマティックなクライマックスを優先しているのです。
原作ファンからは「もっと頭脳戦が見たかった」という声もあるかもしれませんが、この脚色によって、タッタというキャラクターの物語は、より感動的に完結したと言えると思う。
🔵♦K「びじんとうひょう」:チシヤとクズリュウ、二人の哲学のぶつかり合い
これは、ドラマ版の脚色戦略を最も象徴する、見事な改変です。
原作漫画では、チシヤはこの「げぇむ」に参加していません。
しかし、ドラマ版ではこの「げぇむ」の中心にチシヤを据え、エピソード全体を彼の独壇場としました。
信頼と裏切りがテーマのこの「げぇむ」は、脚色された彼のキャラクター性を試す完璧な舞台となり、生き残るために他者と一時的に協力せざるを得ない状況に彼を追い込んだのです。
「ダイヤのキング」であるクズリュウもまた、元弁護士という原作にはない設定が加えられ、「命の価値」に苦悩する彼の哲学が、チシヤの冷徹な合理主義と真っ向から対立します。
暴力も、派手なアクションもない。
ただ静かに、しかし確実に心をえぐられる、知的な恐怖。
この改変は、多くのファンから「シリーズ最高のエピソード」と評価されている。
▼全ての「げぇむ」のルールと結末を詳しく知りたい方は、こちらの記事もチェック!
🔴【最大の分岐点】衝撃のラスト!原作漫画とドラマ版の結末、完全比較!
🔵原作漫画の結末:「生きる意味」を見つけた、アリスの答え
原作漫画は、非常に哲学的で、美しい形で、明確な結末を迎えます。
全ての「げぇむ」をクリアしたアリスは、前述のジョーカーと対峙し、「今際の国」への永住権を拒否して現実世界へと帰還する。
物語の最後には、数年後を描いたエピローグが含まれ、そこではアリスが臨床心理士となり、ウサギと結婚して満たされた人生を送っている姿が描かれます。
これは決定的な結末であり、彼が「今際の国」での教訓を糧に、自ら戦い取った人生に意味を見出したことを示す、感動的なフィナーレです。
🔵Netflixドラマ版シーズン2の結末:残された「JOKER」のカードが意味するもの
ドラマ版S2の結末は、現実世界への帰還までは原作の展開を踏襲しています。
生存者たちは病院で目覚め、共有された、しかし忘れ去られたトラウマによって結びついている。
アリスとウサギは出会い、互いに引かれ合う感覚を覚え、希望に満ちた未来を予感させます。
しかし、第1章で述べた通り、最後のジョーカーカードのショットが、この希望に満ちた結末を一時的な休息に過ぎないものへと完全に再定義し、「げぇむ」がまだ終わっていないことを強く示唆しました。
この選択は、原作が持つテーマ的な完結性を、物語の継続性のために犠牲にした、ドラマ版ならではの大胆な変更点です。
🔵シーズン3の結末:完全オリジナルストーリーがたどり着いた、「もう一つの答え」
Netflixシリーズのシーズン3は、原作の続編である『RETRY』の映像化ではなく、「完全なオリジナルストーリー」であることが明言されています。
『RETRY』は、本編から8年後、アリスがウサギと結婚し、ウサギが妊娠している時に、彼が再び臨死体験に巻き込まれる物語。
しかし、ドラマ版S3は、S2の最後に示されたジョーカーカードを起点とし、アリスとウサギが新たなオリジナル「げぇむ」に挑むために再び「今際の国」へと引き戻されるという、全く違う筋書きをたどります。
🔴【YOSHIKI考察】なぜシーズン3は、オリジナルストーリーになったのか?
🔵原作では描ききれなかった、佐藤信介監督の「映像的野心」
監督は、シーズン1を制作する段階から、「もし成功し、シーズン3まで展開するならば、オリジナルの物語で大きな物語を完結させたい」という構想を抱いていたらしいです。
原作漫画の魅力は、その緻密な心理描写にあります。
でも、その全てを映像で表現するのは、非常に難しい。
原作の制約から解放されたことで、監督が得意とする大規模なVFXと緻密なアクション設計を、最大限に発揮できる環境が整ったんだと思います。
佐藤監督が、「映像作品として、本当に描きたかった『今際の国』」を、僕らに見せてくれる。
それが、シーズン3だったんですね。
🔵JOKERという「最高のフック」を、最大限に活かすために
S2の最後に残された「JOKER」のカード。
あれは、シリーズの根幹を揺るがす、最高の「引き」でしたよね。
原作でのジョーカーは、物語の最後に現れる、哲学的な「案内人」でした。
でも、ドラマ版は、そのジョーカーを「次なるげぇむの主催者」、つまり「ラスボス」として再定義した。
S3は、このジョーカーが示す世界の真理と、その背後にある意味を解明するという、より深遠なテーマへと移行する必要があった。
だからこそ、原作の枠を超えた、新しい物語が必要だったんだと、僕は思います。
▼オリジナルストーリーが迎えた衝撃の結末とは?シーズン3の全貌はこちらの記事で!
🔴まとめ:原作もドラマも、それぞれが最高の「今際の国」だ!

さて、長々と語ってきましたが、最後にこの壮大な比較記事のポイントを、分かりやすく箇条書きでまとめておきましょう!
この記事では、その違いも詳しく解説した。
原作もドラマも、それぞれが最高の魅力を持つ「今際の国」。
この記事が、あなたの『アリス』体験を、さらに深いものにする一助となれば嬉しいです!
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