映画『ランニング・マン』ネタバレ考察と感想!あらすじ結末からラストの評価まで徹底解説!原作との違いとは?
こんにちは!YOSHIKIです!
みなさん、ついにこの時が来ました。
2026年、映画界の幕開けを飾るにふさわしい、とんでもないSFサスペンス・アクションが日本上陸です!
2026年1月30日(金)、いよいよ明日公開!
その名は、『ランニング・マン』(原題:The Running Man)。
「え? ランニング・マンって、あのシュワちゃんの?」と思ったあなた。
鋭いですが、半分正解で半分間違いです!
本作は、1987年のアーノルド・シュワルツェネッガー主演版のリメイク……ではありません。
スティーヴン・キング(リチャード・バックマン名義)の傑作小説に立ち返り、「現代の映像魔術師」エドガー・ライト監督が、原作の魂を呼び覚まして再構築した、全く新しい「ディストピア・サバイバル」なんです!
主演は、『トップガン マーヴェリック』で世界中を虜にした、今もっとも熱い男、グレン・パウエル。
今回の彼は、いつもの自信満々な笑顔を封印し、病気の娘のために命を懸ける「追い詰められた父親」を熱演しています。
しかも舞台設定は、なんと「2025年」。
そう、まさに僕たちが生きている「今」と重なる時代設定で描かれる、恐ろしくもリアルな悪夢。
原作者スティーヴン・キング自身が「WOW(驚いた)」とメールを送って絶賛したという本作。
公開直前の今、このヤバすぎる映画の予習情報をガッツリまとめました!
【このブログの楽しみ方について】
🟡映画『ランニング・マン』基本情報!

なんと今回、原作者のキング御大が「原作に忠実でありながら、私を驚かせた!」と太鼓判を押しているんです。
あの辛口なキングを唸らせたエドガー・ライト監督の手腕、期待せずにはいられません!
| 項目 | 詳細 |
| タイトル | 『ランニング・マン』 (原題:The Running Man) |
| ジャンル | SF / アクション / スリラー / ディストピア |
| 原作 | スティーヴン・キング (リチャード・バックマン名義) 『バトルランナー』 |
| 監督 | エドガー・ライト (『ベイビー・ドライバー』『ラストナイト・イン・ソーホー』) |
| キャスト | グレン・パウエル ジョシュ・ブローリン コールマン・ドミンゴ 他 |
| 上映時間 | 133分 |
| 公開日 | 2026年1月30日(金) 全国ロードショー! |
| 映倫区分 | PG12(12歳未満は保護者の助言・指導が必要) |
🔵公式予告編
🟡【公開前】ここがヤバい!本作を観るべき3つの理由!
①シュワちゃん版とは別物!「原作回帰」のガチな逃走劇
1987年の映画版(『バトルランナー』)を覚えていますか?
筋肉モリモリのシュワルツェネッガーが、派手な衣装の怪人をなぎ倒していくプロレス的なアクション映画でした。
あれはあれで最高でしたが、今回の2026年版は全く違います。
エドガー・ライト監督が目指したのは「原作小説への完全回帰」。
主人公ベンは、無敵の超人ではなく、貧困にあえぐ「持たざる者」。
ゲームのフィールドも、閉鎖されたアリーナではなく「全米」そのものです。
どこへ逃げても監視カメラがあり、国民全員が賞金目当てで通報してくる……。
この「逃げ場のない絶望感」と、知恵を振り絞って生き延びようとするヒリヒリしたサスペンスは、まさに「現代のダイ・ハード」と呼ぶにふさわしい緊張感です!
②グレン・パウエル史上、最も「追い詰められた」演技
『トップガン マーヴェリック』や『恋するプリテンダー』で、自信満々な笑顔を見せてきたグレン・パウエル。
でも今回の彼は、そのキラースマイルを完全に封印しています。
演じるのは、病気の娘の治療費を稼ぐため、自ら死のゲームに身を投じる父親。
泥臭く、汗と血にまみれ、恐怖に震えながらも、家族への愛だけで走り続ける。
彼のキャリアの転換点になると言われている、鬼気迫る演技は必見です。
さらに、彼を追い詰めるプロデューサー役には『アベンジャーズ』サノス役のジョシュ・ブローリン、狂気のMC役にコールマン・ドミンゴと、演技派のヴィランたちが脇を固めているのもヤバすぎます!
③吹替版が「レジェンド級」に豪華すぎる!
そして日本公開版で特筆すべきなのが、異常なまでに豪華な吹替キャスト陣!
●主人公ベン(グレン・パウエル):武内駿輔
●狂気のMCボビー(コールマン・ドミンゴ):山寺宏一
●ヒロイン・アメリア(エミリア・ジョーンズ):早見沙織
特に注目なのが、”七色の声を持つ男” 山寺宏一さん演じるMCボビー!
民衆を熱狂させ、主人公を悪者に仕立て上げるカリスマMCを、山寺さんがどう「怪演」してくれるのか……想像するだけでゾクゾクします。
字幕派の人も、今回は吹替版での鑑賞を検討する価値アリですよ!
🟡注目のキャスト&登場人物!

敵はハンターだけじゃない!
メディア、群衆、そして信頼していたはずの協力者まで…?
誰が敵で誰が味方か、相関図を頭に入れておくとより楽しめます!
- ベン・リチャーズ(演:グレン・パウエル)
元警官だが失職し、スラム街で暮らす貧困層の男。
病気の娘キャシーの薬代を稼ぐため、生存率ほぼゼロの殺人番組「ランニング・マン」への出場を志願する。
番組側からは「凶悪な警察官殺し」という虚偽のプロフィールで紹介され、全米の敵となる。 - ダン・キリアン(演:ジョシュ・ブローリン)
番組を統括する冷酷なプロデューサー。
視聴率のためなら人の命など何とも思わない。
「ゲーム」のルールを支配する絶対的な権力者。 - ボビー・”ボビーT”・トンプソン(演:コールマン・ドミンゴ)
番組の名物MC。
巧みな話術で民衆を扇動し、ベンへの憎悪を煽る。
華やかなステージの裏に隠された狂気が恐ろしい。 - アメリア・ウィリアムズ(演:エミリア・ジョーンズ)
逃走中のベンと遭遇し、人質となってしまう上流階級の女性。
当初はベンを敵視するが、メディアが報じる虚像と目の前の実像のギャップに気づき始める。 - エヴァン・マッコーン(演:リー・ペイス)
番組最強の「ハンター」部隊のリーダー。
視聴者からはロックスターのように崇拝されているが、その殺害スキルは本物。 - エルトン・ペラキス(演:マイケル・セラ)
メイン州デリー(キング作品の聖地!)に住む技術者。
反体制派の一員としてベンの逃走をサポートする重要人物。
🟡『ランニング・マン』あらすじ解説!
【あらすじ】
西暦2025年。
世界経済は破綻し、アメリカは全体主義的な管理社会へと変貌していた。
貧富の差は極限まで拡大し、国民の多くは貧困と汚染された環境の中で、ただ生き延びることに必死だった。
そんな暗黒の時代、国民が唯一熱狂する娯楽があった。
政府と癒着した巨大ネットワーク企業が放送する、究極のリアリティ・ショー「ランニング・マン」だ。ルールは単純かつ残酷。
参加者(ランナー)は、プロの殺し屋「ハンター」や、賞金目当ての一般市民からの追跡をかわし、30日間生き延びること。
達成すれば、賞金10億ドル(約1,500億円)と「自由」が手に入る。
しかし、失敗すれば待っているのは、全国中継される無残な「死」のみ。失職し、スラム街で暮らす元警官のベン・リチャーズ(グレン・パウエル)には、重い病を患う幼い娘キャシーがいた。
高額な薬代を稼ぐ術を失った彼は、妻の反対を押し切り、最も危険だが最も実入りの良いこのゲームへの出場を決意する。番組プロデューサーのキリアン(ジョシュ・ブローリン)は、ベンを「凶悪な警官殺し」という偽りのプロフィールで紹介し、国民の敵として祭り上げる。
ゲーム開始とともに、最強のハンターたち、そして洗脳された群衆がベンに襲いかかる。
武器も持たず、たった一人で放り出されたベン。
彼にあるのは、娘を救いたいという執念と、腐敗したシステムへの怒りのみ。果たして彼は、30日間逃げ切り、生きて家族の元へ帰ることができるのか?
そして、この狂ったゲームの裏に隠された「真実」を暴くことができるのか――?
🔴映画『ランニング・マン』ネタバレなし感想
公開初日、早速観てきました!
結論から言います。
「最初から最後までノンストップ! 身体に力が入りっぱなしの没入感でしたが……金銭感覚だけは1982年のまま!?(笑)」
いやー、テンポが良くて一気に観ちゃいました!
病気の娘を救うために、超高額賞金が得られる殺人ゲーム「ランニング・マン」に参加する……というストーリーなんですが、ゲームが始まってからの疾走感がハンパないです。
思わず座席の手すりを強く握りしめてしまうほど、ハラハラドキドキの連続でした。
スティーヴン・キングの原作ファン、そしてシュワちゃん主演の旧作『バトルランナー』を知っている人も多いと思いますが、本作はシュワちゃん版の「なんでも筋肉で解決!」なB級テイストとは全く別物。
かなり原作小説のストーリーラインに忠実に作られていて、シリアスな追走劇としてしっかり描かれています。
「これだよこれ!原作のあの雰囲気が観たかったんだよ!」というファンの方も納得の出来なんじゃないでしょうか。
ただ……正直に言わせてほしいことがあります。
観ていてどうしても気になっちゃったのが、「デスゲームの賞金、今の時代にしては安すぎない?」ってこと(笑)。
30日間逃げ切れば10億ドル(約1500億円)という設定なんですが、今やアメリカの宝くじ『パワーボール』でキャリーオーバーが出れば20億ドル(約3000億円)当たることもある時代ですよ?
たった数百円のチケットを買うだけで、命を懸けずにこれ以上の金額が手に入る可能性があるんです。
さらに「ハンターを殺せばボーナス5万ドル(約750万円)」って……今どき高級車1台すら買えない金額で命のやり取りをさせられるなんて、ブラック企業も真っ青の搾取構造じゃないですか!?
舞台は2025年なのに、金銭感覚だけ原作が書かれた1982年のまま止まっているような違和感があって、そこだけ現実に引き戻されちゃいました(笑)。
あと、ラストの展開も「えっ、そこで終わるの?」というくらい呆気なさがあったので、余韻に浸るというよりは「ハイ、解散!」みたいなサッパリ感があります。
とはいえ、映画としての面白さは本物!
細かいことは気にせず、ハラハラする映像体験を楽しみたい人には間違いなくオススメです!
🔵『ランニング・マン』各項目別10点満点評価とレビュー
| ストーリー 7/10 | 原作に忠実な緊張感! シュワちゃん版とは異なり、原作小説のストーリーラインに沿った展開は好印象。ゲーム開始後はずっと体に力が入るほど引き込まれます。ただ、賞金設定の安さやリアリティラインに少し時代錯誤な違和感も。 |
|---|---|
| 映像・演出 8/10 | テンポ感は最高! エドガー・ライト監督らしい音楽と映像の同期は健在。最初から最後までダレることなく、アトラクションのように楽しめます。派手さよりもスタイリッシュな逃走劇という印象です。 |
| 余韻 6/10 | ちょっと呆気ないかも? ラストの幕引きが非常にあっさりしていて、「えっ、これで終わり?」という感覚が残りました。もう少しカタルシスや、現代ならではのひねりが欲しかったのが正直なところ。 |
| リピート率 7/10 | 一度観れば満足! テンポが良いので観やすいですが、深く考察したくなるような謎は少なめ。スカッとしたい時に観るには最適ですが、何度も噛み締めるタイプではないかもしれません。 |
| キャスト 8/10 | 娘のために走る姿に熱くなる! グレン・パウエルの必死な逃走演技は素晴らしかったです。脇を固めるキャストも良く、特にマイケル・セラなどの配置が効いていました。 |
| 総合 7.2/10 | 原作リスペクトを感じる良作アクション!ですが、運が良ければ当たる宝くじの方が賞金が高いかもしれない今の時代に、この金額で命を懸けるのはご愛嬌(笑)。細かいツッコミどころはありますが、最後まで飽きさせないパワーは流石です! |
🔴映画『ランニング・マン』ネタバレあらすじ結末解説
衝撃のラストシーン、リチャーズの生死、そして革命の行方まで全て書き記しています。
本作は「結末を知らずに観る」ことが最大の楽しみですので、未見の方は絶対にスクロールしないでください。
覚悟が決まった方だけ、このイカれたゲームの裏側へお進みください!
①起:どん底の生活と、悪魔との契約
物語の舞台は2025年、企業の全体主義に支配されたディストピア・アメリカ。
ベン・リチャーズ(グレン・パウエル)は、かつて同僚を助けようとして命令違反を犯し、ブラックリスト入りした「正義感の強い男」でした。
しかし、その正義感があだとなり、現在はニューヨークの貧困地区「コープ・シティ」で、妻シーラと重病の娘キャシーと共に、その日暮らしの極貧生活を強いられています。
薬代すら払えず、妻が風俗店で働かざるを得ない現状に絶望したベンは、一発逆転を賭けて、致死率極大のリアリティショー『ランニング・マン』への参加を決意します。
オーディション会場でも、倒れた老人を助けようとして警備員に暴行を受けるなど、ベンの「お人好し」な性格は変わりません。
しかし、番組の総合プロデューサーであるダン・キリアン(ジョシュ・ブローリン)は、そんなベンの「暴力性」と「人間味」の危ういバランスにスター性を見出します。
キリアンはベンの弱み(家族)につけ込み、「私の指示に従って番組を盛り上げるなら、妻と娘の生活は一生保障する」という悪魔の契約を持ちかけ、ベンはそれを呑んで地獄のランナーとなります。
②承:怒りの逃亡劇と、散りゆく仲間たち
ゲーム開始の生放送。
司会者のボビー・トンプソンは、あろうことか全米に向けてベンの妻の職業や、娘の病状を嘲笑うような紹介をします。
これには温厚なベンもブチ切れ。怒りを爆発させますが、それこそが視聴率を欲するキリアンの狙いでした。
「ハンター」と呼ばれる殺し屋集団に加え、賞金目当ての一般市民からも追われることになったベン。
12時間の猶予を使って変装し、ボストンへ逃れますが、番組側は「ベンが市民を虐殺した」というフェイク映像を流し、彼を凶悪犯に仕立て上げます。
逃亡中、共に選ばれた仲間のランナー、ティムとジェニが無残に殺されていく様子が放送され、精神的にも追い詰められていくベン。
しかし、スラム街で出会った賢い少年ブラッドリーとその兄など、貧困層の人々はベンの潔白を信じ、命がけで彼を助けてくれました。
彼らの手引きでメイン州デリーへ向かったベンは、反体制活動家のエルトン(マイケル・セラ)と合流。
エルトンの屋敷には「ホーム・アローン」の殺人版とも言える大量のトラップが仕掛けられており、襲撃してきたハンターたちを次々と血祭りにあげていきます!
しかし、多勢に無勢。
エルトンはトップハンターのマコーン(リー・ペイス)の狙撃によって命を落とし、ベンは再び孤独な逃亡を余儀なくされます。
③転:覚醒するヒロインと、空の上の真実
国境付近でドローンに見つかったベンは、通りかかった富裕層の女性アメリア(エミリア・ジョーンズ)の車に強引に乗り込みます。
当初アメリアは、テレビの情報を鵜呑みにしてベンを「テロリスト」と罵っていましたが、目の前で「ゲーム側が罪のない市民を殺害する瞬間」や、「自分が助けを求めている捏造映像」がリアルタイムで放送されるのを目撃。
メディアの嘘に気づいた彼女は覚醒し、ベンと共に戦うことを決意します。
二人はプライベートジェットを奪って空へ逃れますが、ここでキリアンから通信が入ります。
なんと、執拗に追ってくるトップハンターのマコーンも、かつてはベンと同じ「ランナー」であり、生き残るために魂を売ってハンターになったというのです。
キリアンは「マコーンを倒せば、お前を次期ハンターとして雇う。家族も救えるぞ」と誘惑。
さらに、妻と娘が殺された(ように見える)フェイク映像を見せつけ、ベンを修羅に変えようとします。
しかし、アメリアの説得で冷静さを取り戻したベンは、機内に侵入したマコーンと対決。
激しい肉弾戦の末、マコーンを機外へ吊るし上げ、パラシュートごと窓枠に固定して刺殺!
ベンはアメリアにパラシュートと「真実の記録(ブラックボックス)」を託し、彼女を先に脱出させます。
一人残ったベンに対し、キリアンは「飛行機ごとビルに突っ込むテロリスト」というシナリオを用意し、ミサイルで機体を撃墜。
ベン・リチャーズは、悪逆非道の犯罪者として爆炎の中に消えた……はずでした。
④結末:革命の狼煙と、ラストの「アクション」
アメリアが持ち帰ったデータは、レジスタンスによって世界中に拡散されました。
そこには、キリアンの脅迫、捏造のプロセス、そしてベンの無実の全てが記録されていました。
真実を知った民衆の怒りは頂点に達し、暴徒と化してテレビ局を包囲します。
混乱するスタジオ。いつものように高みの見物を決め込んでいたキリアンの前に、死んだはずの男が現れます。
ベンは爆発寸前、コックピットの緊急脱出ポッドで地上に生還していたのです!
逃げ惑うキリアンを追い詰め、銃口を向けるベン。
命乞いをするプロデューサーに対し、ベンは映画の撮影開始の合図のように、冷たくこう言い放ちます。
「3、2、1……アクション」
銃声が響き、キリアンは絶命。
ラストシーン、スーパーマーケットから出てきた妻シーラと娘キャシーの前には、傷だらけですが力強く微笑むベンの姿がありました。
独裁的なメディア支配を打ち砕き、家族を守り抜いた男の真の勝利で、物語は幕を閉じます。
🔴ネタバレあり考察:なぜ「破壊」ではなく「生存」だったのか?

「えっ、ビルに突っ込まないの!?」って(笑)。
でも、僕は今回のこの結末、現代においてすごく意味のある改変だったと感じました。
今回は、この映画が現代に投げかけた5つの重要なメッセージについて、YOSHIKIなりの視点で徹底的に深掘りしていきます!
🔵考察①:「9.11」以降の世界で描く、新しいヒーロー像
スティーヴン・キングがリチャード・バクマン名義で書いた原作小説のラストは、主人公が飛行機ごとネットワークの本社ビルに特攻し、自爆テロのような形で社会に中指を立てて終わるという、救いのないニヒリズムに満ちたものでした。
しかし、2001年の同時多発テロを経験した現代のアメリカ映画において、民間機がビルに突っ込む映像を「エンターテインメント」や「カタルシス」として描くことは、倫理的に許されない一線だったのではないかと思います。
エドガー・ライト監督が選んだのは、「死んで伝説になる」ことではなく、「生きてシステムを変える」ことでした。
これは、ただの自主規制ではなく、「怒り」や「破壊」だけで終わらせるのではなく、「連帯」と「再生」への希望を提示したいという、2025年ならではのメッセージだったのではないでしょうか。
原作の結末は、ある種「システムに対する敗北(心中)」とも取れますが、映画版は「システムを打倒した上で、個人としての幸せも掴み取る」という、より困難で高潔な道を選ばせました。
「死んでしまえば、結局は消費されて終わる」。
だからこそ、泥臭くても生きて家族の元へ帰る。
その選択こそが、死をエンタメ化する社会に対する、現代における真のパンク(反骨精神)なのかもしれません。
🔵考察②:グレン・パウエルが体現した「怒れる一般市民」のリアル
1987年のシュワルツェネッガー版『バトルランナー』は、無実の罪を着せられた筋肉モリモリの超人が敵をなぎ倒す、ある種のお祭り映画でした(それはそれで大好きですが!笑)。
対して今回のグレン・パウエル演じるリチャーズは、超人ではありません。
彼はただの「技術を持った労働者」であり、動機も「正義」ではなく「娘の薬代」という、あまりにも切実で個人的なものです。
彼が見せる恐怖、焦り、そして理不尽なシステムへの底知れぬ怒り。
これは、現代の格差社会で「真面目に働いているのに報われない」「病気になったら終わり」という不安を抱えて生きる、我々一般市民の姿そのものです。
パウエルの演技には、『トップガン マーヴェリック』で見せたような自信満々な笑顔はありません。あるのは、追い詰められた父親の悲壮感だけです。
だからこそ、彼が最後にキリアン(=搾取するシステム)に銃を向けるシーンは、単なる復讐劇を超えて、観客全員の鬱憤を晴らすような強烈な共感を生んだのだと思います。
彼は「選ばれしヒーロー」ではなく、「僕たち自身」だったのです。
🔵考察③:ディープフェイク時代の「真実」とは?〜AIに奪われる“私”〜
本作が旧作(1987年版)から最もアップデートされ、そして最も「怖かった」点は、「映像の信頼性」が完全に崩壊している描写です。
劇中、リチャーズが言ってもいない過激なテロ予告が、リアルタイム生成のディープフェイク映像として全米に放送されるシーンがありました。
自分の顔と声で、全く身に覚えのない言葉が語られ、それを見た家族や友人が自分を憎み始める……想像しただけで吐き気がするような恐怖です。
これはもはやSFの話ではありません。
現実の2025年においても、生成AIによるフェイク動画や音声詐欺は社会問題化しています。
プロデューサーのキリアンが言い放った「真実とは放送されたものだ」という言葉は、メディアが現実を「編集」し、都合よく「生成」できる現代社会への痛烈な皮肉です。
権力者がボタン一つで「敵」を作り出せる世界で、私たちは何を信じればいいのでしょうか?
だからこそ、リチャーズが命がけでアメリアに託した「ブラックボックス(フライトレコーダー)」が革命の鍵となった展開は、非常に象徴的で感動的でした。
ブラックボックスは、デジタル加工が介入できない「生のアナログデータ」の象徴です。
ネット上の情報はいくらでも改竄できる。
AIがどんなにリアルな嘘を作ろうとも、現場に残された「物理的な証拠」と「自分の目で見たもの」だけが、嘘を暴く唯一の武器になる。
「システムは嘘をつく。流れてくる情報を疑え。そして、自分の足で真実を探しに行け」。
この映画は、フェイクニュースやプロパガンダが横行し、真実が霧散してしまった情報過多の時代を生きる僕たちへの、最強の警鐘であり、熱いエールだったのだと思います。
🔵考察④:マコーンの悲劇が示す「システムの呪い」〜彼はもう一人のリチャーズだった〜
敵役であるトップハンター、エヴァン・マコーン(リー・ペイス)。
彼もまた、単なる「悪い奴」として片付けるにはあまりに悲しく、複雑なキャラクターでした。
クライマックスで明かされた「彼もかつてはリチャーズと同じランナーだった」という事実は、この『ランニング・マン』というゲーム、ひいては資本主義社会の残酷な構造を浮き彫りにします。
マコーンは、今のリチャーズと同じように必死で逃げ、生き残るために戦いました。
しかし、その対価として彼が手に入れたのは「自由」ではなく、「支配する側(ハンター)に回る」という新たな鎖でした。
彼は生き延びるために魂を売り、かつての自分のような弱者を狩ることでしか自己を保てなくなってしまったのです。
いわば、マコーンは「もしリチャーズが途中で諦め、システムに屈服していたらなっていたかもしれない未来の姿」そのものです。
彼が執拗にリチャーズを追い詰め、異常な執着を見せたのはなぜか?
それは、リチャーズの中に「かつて自分が捨ててしまった良心」や「決して屈しない輝き」を見てしまったからではないでしょうか。
システムに順応し、汚れることでしか生きられなかったマコーンにとって、泥だらけになっても高潔さを失わないリチャーズは、自分の過ちを突きつけてくる鏡のような存在であり、どうしても消し去りたい「過去の自分」だったはずです。
ラストの決闘シーンは、単なる善と悪の戦いではなく、リチャーズが「自分自身の暗黒面」と戦っているようにも見えました。
マコーンの死は、勧善懲悪の勝利というよりは、「システムに取り込まれ、怪物になってしまった人間の末路」としての哀れさを感じさせます。
彼はリチャーズに殺されたのではなく、最初からこの狂ったゲームによって心を殺されていたのです。
🔵考察⑤:共犯者は誰だ?スクリーンを見つめる僕たちへの「最悪の問い」
この映画を観終わって、一番ゾッとしたのは誰でしたか?
冷酷なキリアン? 残忍なハンター?
いいえ、僕は「テレビ画面の前で死のゲームに熱狂している一般市民たち」が一番怖かった。
彼らは、貧困層のランナーがチェーンソーで切り刻まれるのを見て、スポーツ観戦のように歓声を上げ、ポップコーンを食べています。
「あいつを殺せ!」「逃がすな!」と叫ぶ彼らの姿は、あまりにも無邪気で、だからこそグロテスクです。
そして、ここでエドガー・ライト監督は、私たち観客にも冷や水を浴びせてきます。
「お前たちも今、映画館の安全な席から、人が死ぬのを楽しんでいなかったか?」と。
正直、僕もマコーンとの戦闘シーンや、ハンターたちが罠にかかるシーンで「行け!やっちまえ!」と興奮していました。
その瞬間、僕は映画の中の愚かな群衆と全く同じ顔をしていたはずです。
この映画は、暴力をエンタメとして消費する僕たち自身を、スクリーンの中に映し出しているのです。
さらに恐ろしいのは、ラストの暴動シーンです。
さっきまで番組を楽しんでいた民衆が、真実を知った途端に掌を返し、今度は「正義の味方」ヅラをしてテレビ局を襲撃し始めました。
一見するとカタルシスのある革命に見えますが、彼らがやっていることは「新しいターゲット(キリアン)」を見つけて、今度は「処刑」という名の新しいエンタメを楽しんでいるだけに見えなくもありません。
大衆は常に無責任で、感情的で、簡単に操られる。
今日英雄を称えた手で、明日は石を投げるかもしれない。
そんな現代のSNS社会やキャンセルカルチャーに通じる「集団心理の浅ましさ」まで描ききっている点こそが、本作がただのアクション映画ではなく、鋭利な刃を持った社会派風刺映画である証明だと言えるのではないでしょうか。
ラストの「リチャーズは生きている」というスローガン。
これは映画の中の民衆に向けられたものでありながら、スクリーンを見ている僕たちへのメッセージでもあります。
「システムに殺されるな、思考を止めるな」。
スティーヴン・キング(リチャード・バクマン)が40年前に書いた予言は、エドガー・ライトの手によって、現代に最も必要な「抵抗の物語」として見事に蘇りました。
興行的には苦戦しているようですが、間違いなく後世まで語り継がれる「カルト・クラシック」になる傑作です!
🔴【完全版】まとめ!
最後に、このデスゲームの結末を整理しておきましょう。
| キャラクター | 結末・役割 |
| ベン・リチャーズ (主人公) | 【生存・帰還】 緊急脱出ポッドで生存。暴動の混乱に乗じてキリアンを処刑し、家族の元へ帰る。革命の象徴となる。 |
| ダン・キリアン (プロデューサー) | 【死亡】 民衆に見捨てられ、スタジオで孤立。戻ってきたリチャーズにより射殺される。「視聴率」の奴隷として散った。 |
| エヴァン・マコーン (トップハンター) | 【死亡】 機内での死闘の末、パラシュートごと機体に固定され刺殺。かつてはリチャーズと同じランナーだった悲しい過去を持つ。 |
| アメリア (協力者) | 【生存・覚醒】 パラシュートで脱出し、ブラックボックスをレジスタンスに届ける。その後、革命の闘士として活動する姿が示唆される。 |

原作とは違う結末に賛否はあると思いますが、僕は「生きる」ことを選んだリチャーズに熱くなりました。
皆さんはこの改変、アリでしたか?ナシでしたか?
ぜひコメント欄で教えてください!
それでは、また次の記事でお会いしましょう!



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