アマプラ映画『ニッケル・ボーイズ』ネタバレ感想!Prime Video独占配信開始!

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今回、紹介する作品は『ニッケル・ボーイズ』です。

『ニッケル・ボーイズ』あらすじ&キャスト紹介!

序章:奪われた未来、それでも僕たちは…

人種差別的内容を含むアメリカ南部諸州の州法が存在した1960年代のアメリカ南部。
希望と絶望が交錯する場所で、二人の少年が出会った

真面目で成績優秀なエルウッド。
彼の未来は、たった一度の過ちによって奪われた。
不当な逮捕、そして送られたのは、”ニッケル・アカデミー”と呼ばれる少年院
そこは、表向きは更生施設、しかし実態は、想像を絶する暴力と虐待が横行する地獄だった。

そこでエルウッドは、同じく収容されたターナーと出会う。
絶望の中で、二人は友情を育み、生き抜くことを誓う。
しかし、ニッケル・アカデミーの闇は深く、彼らの友情と希望さえも飲み込もうとする。

ピューリッツァー賞を受賞したコルソン・ホワイトヘッドの小説を映画化。
1960年代アメリカに実在した少年院を舞台に、黒人少年が体験した過酷な現実を描く

この記事では、映画『ニッケル・ボーイズ』のネタバレ感想を紹介しています。
この記事は、一部プロモーションを含んでいます。
『ニッケル・ボーイズ』は、どんな人にお薦め?
🔸社会問題に関心がある方:1960年代のアメリカ南部における人種差別という重いテーマを扱っているぞ!
🔸
実話に基づいた物語が好きな方:実際に存在した少年院での出来事を基にし、フィクションでは描けない、現実の重みがあるぞ!
🔸
人間の尊厳や希望について考えたい方:過酷な状況下でも希望を失わない少年たちの姿を描いているぞ!

世間の評価

日本人には馴染みが薄い黒人差別というテーマではありますが、時より挟まれる時代を移すリアルな映像と抽象的な内容で脳を刺激し現実味を帯びる良作✨

悲観的になりすぎず淡々としている分浮き彫りになる過酷さは、黒人が受けてきた差別の歴史の重みにまんま変換される。

あまりみたことのないタイプの映像作品でした。
カメラワークで差別される側を強調し、没入感を出そうとしているのだと思うのだけど、ストーリーの進行が少しわかりづらく、集中できなかった…。

2人の少年の友情を軸に収容された少年更生施設の実態を主観カメラで描写していくのだが、要所要所で、施設で起きた事件の記録映像や、当時の黒人差別の様子等が挿入されていくのは妙にリアリティがあって、そこら辺は主観カメラとの対比映像として面白かったのかも知れない。

個人的評価(10点満点評価)&ネタバレなし感想

10点満点中/

YOSHIKI
YOSHIKI

テルライド映画祭で圧倒的な支持を集めた「ニッケル・ボーイズ」は、1960年代アメリカの少年院を舞台に、エルウッドとターナーという二人の少年の視点を通して、人種差別の現実を描き出す作品

本作の最大の特徴は、二人の少年の主観を重視した大胆な作風にある。
エルウッドの理想とターナーの現実、二つの視点が交錯することで、観客は少年院の過酷な日常を追体験し、彼らの内面に深く迫ることができるようになっている。

少年たちの感情を丁寧に描写することで、観ている僕らは、強い共感を抱く。
例えば、エルウッドが暴力に晒されるシーンでは、彼の視点に合わせたカメラワークと音響効果が、痛みを追体験させるような感覚があった。
また、ターナーが友情と現実の間で葛藤するシーンでは、彼の表情や仕草が、観客に深い感情移入を促している。

本作は、単なる告発映画ではなく、人間の尊厳と希望を描いた作品
少年たちが過酷な状況下でも友情を育み、生き抜こうとする姿は、深い感動を与えると思うのでぜひね、鑑賞して欲しい一本ですね!

ここからネタバレ感想について話していきますので、ネタバレ無しで鑑賞したい方は、注意してお読みください。

『ニッケル・ボーイズ』ネタバレ考察

1960年代アメリカ、黒人少年たちの可能性を奪うもの

映画「ニッケル・ボーイズ」は、1960年代アメリカ南部を舞台に、黒人少年たちが直面した不条理な現実を描き出す作品
特に、エルウッドという少年の視点を通して、人種差別が彼らの可能性をいかに奪っていくのかを鮮烈に描き出している。

エルウッドは、大学進学を夢見る優秀な少年。
しかし、ある日、盗難車に偶然乗り合わせたことから、共犯として不当に逮捕され、ニッケル・アカデミーという少年院に送られる。
この出来事は、彼の人生を大きく狂わせる。

ニッケル・アカデミーは、表向きは更生施設であるが、実際は人種隔離が徹底された暴力と抑圧の場だった。
白人少年たちは比較的穏やかな処遇を受ける一方で、黒人少年たちは日常的に虐待を受ける。
例えば、施設長夫人が本を寄贈したり、プール利用を許可したりする場面があるが、その裏では常に黒人少年たちへの無償労働が課せられている。
また、白人教官が黒人少年たちを「うじ虫(grub)」と蔑む授業や、容赦ない暴力的制裁も日常的に行われている。

これらの描写は、当時のアメリカ社会における人種差別の根深さを浮き彫りにしている。
エルウッドの夢と希望は、彼が黒人であるというだけで、次々と打ち砕かれていく。
エルウッドの視点を通して、人種差別が個人の人生をいかに残酷に奪っていくのかを痛感する。

今作最大の特徴である作風とは?:二つの視線、一つの真実

映画「ニッケル・ボーイズ」の最大の特徴である、二人の少年の主観を重視した作風
この大胆な試みを深く掘り下げて考察してみたい。

エルウッドとターナー、二人の少年は、同じ少年院に収容されながらも、全く異なる世界を生きている。
エルウッドは、キング牧師の言葉を胸に、理想を追い求める
教育によって人は変われると信じ、ニッケル・アカデミーを更生の場と捉えようとする。
一方、ターナーは、現実主義者
彼は、ニッケル・アカデミーを権力と暴力が支配する場所と認識し、生き延びるためには現実を受け入れるしかないと考えている。

この二つの視点の対比が、観る側に多層的な体験をもたらしている様に感じる。
エルウッドの視点を通して、観客は少年院の欺瞞と不正を目の当たりにする。
理想と現実のギャップに苦悩するエルウッドの姿は、僕らに倫理的な問いを投げかける。
一方で、ターナーの視点を通して、僕らは少年院の過酷な現実を追体験させられる。
暴力、虐待、そして理不尽な死。
ターナーの現実主義は、人間の弱さと強さを考えさせる。

二人の視点が交錯することで、物語は単なる告発映画を超え、人間の内面に深く迫る作品へと昇華させている。
エルウッドの理想は、希望を与える。
しかし、ターナーの現実は、その希望を打ち砕く。
二つの視点の衝突は、僕らに安易な答えを与えない。
エルウッドとターナー、どちらの視点に共感するか、どちらの選択が正しいのか、自問自答することになるという仕掛けが面白いと思った。

また、二人の少年の主観を強調するために、映像表現にも工夫を凝らしているのが良かった。
エルウッドの視点では、希望や理想を象徴するような明るい色彩や開放的な構図が用いられ、ターナーの視点では、現実の厳しさを象徴するような暗い色彩や閉塞的な構図が多用される。
二人の心理状態に合わせて、カメラワークや音楽も変化し、これらの映像表現は、二人の少年の内面を追体験させ、物語への没入感を高める効果がある。

二人の少年の主観を重視した作風は、多様な解釈の選択肢を与えてくれる。
エルウッドの理想を信じるか、ターナーの現実を受け入れるか。
どちらの選択も、観る人自身の価値観や経験によって異なるはず。
しかし、どちらの選択をしたとしても、ニッケル・アカデミーという場所で生きた少年たちのことを忘れることはないはず。

映画『ニッケル・ボーイズ』おわり

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