Netflix『フランケンシュタイン』ネタバレ感想・考察。ギレルモ・デル・トロ版のあらすじ・結末・キャスト(ジェイコブ・エロルディ、ミア・ゴス)情報を解説。
Netflix『フランケンシュタイン』ギレルモ・デル・トロ版のネタバレ感想・考察。あらすじ・結末・キャスト情報、R指定の理由を解説。
2025年、ついに“あの巨匠”が、その生涯をかけた夢を実現させます。
その名は『フランケンシュタイン』(原題: Frankenstein)。
『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー賞を制したギレルモ・デル・トロ監督が、25年以上も前から熱望し、自らの「集大成」であり「最高傑作」になると公言する、まさに渾身の一作です。
【このブログの楽しみ方について】
🟡Netflix映画『フランケンシュタイン』基本情報!

まずはサクッと基本情報から。
監督はもちろんギレルモ・デル・トロ。
そしてキャストが…ヤバすぎます。
さらにR指定、上映時間2時間29分!
これはもう、生半可な作品ではありませんね!
| 項目 | 詳細 |
| 邦題 | 『フランケンシュタイン』 |
| 原題 | Frankenstein |
| 監督/脚本 | ギレルモ・デル・トロ |
| キャスト | オスカー・アイザック、ジェイコブ・エロルディ、ミア・ゴス、クリストフ・ヴァルツ、チャールズ・ダンス 他 |
| 上映時間 | 149分 (2時間29分) |
| ジャンル | ゴシックホラー、ドラマ、ロマンス |
| レーティング | R指定 (血みどろの暴力と陰惨なイメージ) |
| 劇場公開(日本) | 2025年10月24日 (限定公開) |
| 配信日 | 2025年11月7日 (Netflix独占) |
公式予告編

予告編では、息をのむようなゴシックな世界観と、「神を演じるのは、怪物だけ」という強烈なキャッチコピーが確認できます。
🟡【ネタバレなし】視聴前に知るべき!本作がヤバい3つの理由!
①監督の“生涯をかけた夢”!「AIなんかくそくらえ」な情熱がヤバい!
まず、この映画はデル・トロ監督が25年以上も前から作りたかった「生涯の夢」のプロジェクトだということ。
彼は本作を「すべての映画の頂点にある」とまで語っており、その熱量は尋常じゃありません。
特にヤバいのが、彼の実践主義。
「AIを使うくらいなら死んだほうがましだ」
「AIなんかくそくらえだ!」
と公言する監督は、本作でもCGに頼らず、膨大な実物セットと精巧な特殊メイクで、ゴシックな世界観を“手作り”で作り上げています。
この「魂のこもった職人技」こそが、本作をただの映画ではない、本物の芸術作品にしているんだと思います!
②「ロックスター」な博士と「純真な」怪物!豪華すぎるキャストがヤバい!
キャスト陣もとんでもないです。
従来の「マッドサイエンティスト」ではなく、ミック・ジャガーのようなカリスマ性を持つ「ロックスター」として描かれるようです。
情熱的で傲慢な天才、ハマり役すぎます。
『プリシラ』や『Saltburn』の彼が、今度は「純真無垢で心優しく、悲劇的な」怪物を演じます。
批評家からは「怪物の痛みを体現している」と、すでに絶賛の嵐です。
ヴィクターを支配する「冷酷な父親」役。
この「父から息子への痛みの連鎖」こそが、デル・トロ監督が描きたかった自伝的なテーマの核になっているようです。
③恋人=母親!? ミア・ゴス「一人二役」の仕掛けがヤバい!
そして、僕が「一番ヤバい!」と思ったのがこれです。
ホラーの女王、ミア・ゴスが、なんと「一人二役」を演じます。
一つは、ヴィクターが想いを寄せる女性、エリザベス。
もう一つは、ヴィクターの亡くなった母親、クレア。
…ヤバくないですか?(笑)
ヴィクターが「死を克服したい」と願うようになったトラウマの源泉(=母の死)と、彼が現在愛する人(=エリザベス)が、同じ顔をしている。
これは、ヴィクターの生命創造という行為が、母親を取り戻そうとする歪んだ試みであり、彼の恋愛感情もその延長線上にある…という、非常に複雑で倒錯した心理背景を示唆しています。
この仕掛けだけで、物語の深みがとんでもないことになっています!
🎬 YOSHIKI流!監督の「怪物愛」を深掘りしたいあなたへ!
なぜ彼は怪物を愛し、フランケンシュタインを生涯の夢としたのか?
その秘密は過去作にあります!
→【ギレルモ・デル・トロ傑作10選】必見!あらすじ・配信情報を完全ガイド!

🟡Netflix映画『フランケンシュタイン』キャストとあらすじ!

物語を動かすのは、この神々と怪物たちです。
主人公。
才能豊かだが傲慢な科学者。
「死の克服」という野望に取り憑かれ、生命創造の実験に手を染める。
ヴィクターによって生み出された存在。
純真な魂を持つが、誕生直後に創造主(ヴィクター)に見捨てられ、孤独な放浪を始める。
ヴィクターの想い人であり、同時に彼の亡き母でもあるという、物語の鍵を握る「一人二役」。
ヴィクターの厳格で支配的な父親。
ヴィクターのトラウマの源泉であり、彼が「父」に反抗する理由でもある。
エリザベスの叔父。
ヴィクターの実験に資金を提供する裕福な武器製造業者。
『フランケンシュタイン』【ネタバレなし あらすじ】
物語は、氷に閉ざされた北極で始まる。
一隻の船が、瀕死の男、ヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)を発見する。
彼は、船長に自らの恐ろしくも悲劇的な物語を語り始める──。若きヴィクターは、出産時に命を落とした母の死と、支配的な父への反抗心から、「死を克服する」という歪んだ野望に取り憑かれていた。
彼は恐ろしい実験の末、ついに死体から「新たな生命」を創造することに成功する。しかし、誕生した「怪物」(ジェイコブ・エロルディ)の姿に恐怖したヴィクターは、彼をその場に見捨てて逃げ出してしまう。
創造主に拒絶された怪物は、孤独な放浪の中で、盲目の老人との出会いなどを通じて、言語と人間性、そして「愛」を学んでいく。だが、彼が知る「人間性」とは、優しさだけではなかった。
なぜ自分は創られたのか?
なぜ自分は見捨てられたのか?
純真だった怪物の魂は、次第に怒りへと変わり、自らを創り出した「父」であるヴィクターへの、悲劇的な対決へと向かっていく──。
🔴『フランケンシュタイン』【ネタバレなし感想】
ついに配信開始!
早速、観ました…!
2時間29分…長かった…!
まず最初に、僕の正直な感想を言わせてください。
これは…「とんでもない傑作」です。
ただし、「観る人を選ぶ、美しくも、あまりにも遅く、重い」作品でした。
これは、「ホラー映画」を期待して観ると、絶対に失敗します。
まず、物語(ストーリー)はどうだった?
僕が本作に「賛否両論だ」と感じた最大の理由が、この「物語」の構成です。
ハッキリ言って、物語の展開は「めちゃくちゃ遅い」です!
全149分のうち、最初の1時間くらい(第一幕)は、ヴィクター・フランケンシュタイン博士(オスカー・アイザック)が、なぜ怪物を創るに至ったか…
という彼の苦悩が、それこそ「大げさ」とも言えるほど重厚に描かれます。
「展開が遅い」「第一幕が長すぎる」という批評家の批判は、僕もその通りだと感じました。
「怪物まだ!?」って(笑)。
この「テンポの悪さ」が、本作の評価を分ける最大のポイントだと僕は思います。
でも、ついに怪物(ジェイコブ・エロルディ)が誕生し、物語の視点が彼に移る「第二章」からが、本作の“本番”です。
そこからは、僕たちが知っている「フランケンシュタイン」の物語ではなく、デル・トロ監督が本当に描きたかった「父と息子の物語」、そして「許しの物語」が始まります。
観終わった後の「余韻」が、重く、そして美しい。
スッキリする映画では全くありません。
ホラー的なカタルシスもありません。
観終わった後、ズーンと心が重くなり、「切ない」「悲しい」という感情で、数日間この作品の世界から抜け出せないほどの、強烈な余韻がありました。
この映画は「モンスター映画」の皮を被っていますが、その中身は「人間であることの意味」や「真の怪物は誰か」を問う、魂を揺ぶられるゴシック・ロマンスでした。
あの「展開の遅さ」は、この重いテーマを描き切り、この余韻を生み出すために必要な「対価」だったんだなと、観終わった今は感じています。
キャストと映像は…文句なしの大満足でした!
この重く、遅い物語を最後まで支えきったのは、間違いなく「キャスト」と「映像」です。
キャストは、もう圧巻でした。
特に、怪物を演じたジェイコブ・エロルディ。
彼の演技は「神がかっている」としか言えません。
特殊メイクであのイケメンが完全に消えていますが、彼の「静かな観察眼」や「哀愁漂う表情」が、怪物の痛み、好奇心、そして絶望のすべてを物語っており、観ている僕の感情は完全に彼に支配されました。
もちろん、ミア・ゴスの妖艶な美しさ(一人二役!)も、オスカー・アイザックの「ロックスター」的な狂気も素晴らしかった。
映像も、期待通り「息をのむような美しさ」。
デル・トロ監督の真骨頂である「豪華絢爛なゴシック様式」と「血みどろのグロテスクさ」が融合した世界観は、まさに「大スクリーンで観るべき“芸術作品”」。
光、影、美術、そのすべてが完璧な調和で、彼の世界観の説得力は圧巻でした。
【ネタバレなし感想】まとめ
『フランケンシュタイン』は、「ホラー」や「サスペンス」を期待すると、絶対に肩透かしを食らう作品でした。
2時間29分という「長さ」と「遅さ」に耐え、デル・トロ監督の「悲劇的な美学」と「父と息子の物語」にどっぷり浸かりたい人にとっては、これ以上ない「傑作」になるはずです。
僕は、ジェイコブ・エロルディの“魂の演技”が観られただけでも、この2時間半は価値があったと思いました!
🔵『フランケンシュタイン』各項目別10点満点評価とレビュー
| 評価項目 | 点数 | YOSHIKIのひとことレビュー |
| ストーリー | 6/10 | 正直、展開が遅すぎる(特に第一幕)。ホラーでもない。だが「父と息子の悲劇」として観れば深い。 |
| 映像(世界観) | 9/10 | デル・トロ監督の美学が爆発。「グロテスクなのに美しい」ゴシックな世界観は圧巻。 |
| 余韻 | 9/10 | 重く、切なく、美しい。「許し」というテーマが深く突き刺さる、デル・トロ版ならではの余韻。 |
| リピート率 | 7/10 | 正直、あの第一幕をもう一度観るのはキツい(笑)。でも、エロルディの「怪物の章」だけは何度も観たい。 |
| キャスト演技 | 10/10 | ジェイコブ・エロルディが「魂」そのもの。オスカー級の名演。ミア・ゴスの一人二役も妖艶。 |
| 総合評価 | 8.2/10 | ホラーではない!展開は遅いが、ジェイコブ・エロルディの演技と映像美、そして「許し」の物語に泣く傑作。 |
🔴『フランケンシュタイン』【ネタバレあらすじ結末解説】
ヴィクターの動機と「羅生門」構造
物語は、北極で氷に閉ざされた船が、瀕死のヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)を発見するところから始まります。
彼は船長に、自らの物語を語り始めます。
ヴィクターが「死の克服」に取り憑かれた理由は、彼自身のトラウマ…
弟ウィリアムの出産で母クレア(ミア・ゴス)を亡くし、虐待的な父レオポルド(チャールズ・ダンス)から弟ばかり優遇されて育ったことへの反抗心でした。
彼は「死を克服し、人間を創造する」ことを決意。
クリミア戦争の犠牲者や死刑囚の遺体を集め、ついに実験に成功しますが、誕生した「怪物(ジェイコブ・エロルディ)」の姿に恐怖し、その場に見捨てて逃げ出してしまいます。
ここからが本作の凄いところで、物語の視点が「怪物」へと移り、彼自身の視点で「誕生」と「孤独な放浪」が語られる、「羅生門」のような構成になっています。
怪物は、盲目の老人との交流などを通じて、言語と人間性、そして「愛」を学んでいきます。
エリザベスとウィリアムの死
怪物は、自分を創りながら見捨てたヴィクターへの復讐を開始。
彼が愛する者、すなわち弟ウィリアムと婚約者エリザベス(ミア・ゴス)の結婚式の夜、ついに二人は対峙します。
怪物はヴィクターに「自分は死ぬこともできない。
せめて“伴侶”を創ってほしい」と要求します。
ヴィクターは「もう怪物を作るのはごめんだ」とこれを拒否し、怪物に向けて銃を撃ちます。
しかし、その瞬間、信じられないことが起こります。
なんと、エリザベスが「怪物をかばって」ヴィクターの銃弾を受けてしまうのです。
その光景に激高した弟ウィリアムが怪物に飛びかかりますが、怪物は彼を吹き飛ばしてしまいます。
ウィリアムは頭部から血を流し、ヴィクターに「怪物は兄さんだ 」と言い残して死亡。
怪物は、瀕死のエリザベスを抱いて洞窟へ向かいますが、彼女も「言葉では言い表せないものをあなたの中にみた」と言い残し、息絶えます。
父の「謝罪」と、怪物の「許し」
すべてを失ったヴィクターは、怪物を追って北極へ。
そこでヴィクターはダイナマイトを使いますが、怪物はそれでも死ねない「不死」の存在でした。
二人は、冒頭のアンデルセン船長の船に助けられ、そこで最後の対話を迎えます。
死に瀕したヴィクターは、怪物への憎しみではなく、自らの過去の過ち(虐待的な父から受けたトラウマ)と、その連鎖で自分が怪物にしてしまった「仕打ち」を謝罪し、「すまなかった、息子よ」と語りかけます。
ヴィクターは、怪物と和解した後に死亡。
そして怪物は、憎しみではなく、創造主(父)を「許す」と語り、その遺体を悼むという人間的な感情を見せます。
ラストシーン、怪物はヴィクターの遺体と共に船を降り、北極の地に残ります。
彼は自滅の道を選ばず、日の出に向かって一人、歩き出し、涙します。
それは、父の罪を「許し」、憎しみの連鎖を断ち切った彼が、「無限の可能性」へと向かう、悲しくも希望に満ちた「救済」の瞬間でした。
🔴『フランケンシュタイン』【ネタバレあり考察】
いや…、あの結末、ヤバすぎませんか!?
僕たちが知っている「フランケンシュタイン」の、あのどうしようもない暗い結末(憎しみ合ったままの破滅)を予想していたら、まさかの「謝罪」と「許し」…。
エリザベスが怪物をかばって死に、ウィリアムまで死んでしまうという、地獄のような展開からの、あの「すまなかった、息子よ」です。
観終わった後、これはホラー映画じゃなく、デル・トロ監督の「魂」を描いた、壮大な「父と子の悲劇」であり、「愛の物語」だったんだなと、涙が止まりませんでした。
ここからは、この物語の核心について、僕なりに考察していきます。
🔵深掘り考察①:あの「許し」の結末が意味するもの
僕が思うに、本作の最大のテーマは、結末の「許し」に集約されています。
なぜデル・トロ監督は、原作のニヒリスティックな悲劇を変えてまで、「和解」を描いたのでしょうか。
それは、この物語が単なるモンスターパニックではなく、監督自身の言葉を借りれば「父から息子へと受け継がれる痛みの連鎖」を描いた物語だったからだと僕は思います。
ヴィクター(オスカー・アイザック)は、なぜ怪物を創造したのか?
それは彼自身の「虐待的な父(チャールズ・ダンス)」への反抗心と、トラウマからでした。
そして彼は、自分が父からされたのと同じように、自分の「息子(怪物)」を「拒絶」し、「見捨て」てしまう。
怪物の怒りは、「父に愛されたかった」という息子の叫びそのものでした。
だからこそ、最後の北極で、ヴィクターが「父として」初めて謝罪し、怪物が「息子として」初めて父を許した瞬間、あの悲劇の「連鎖」は断ち切られたんです。
怪物が死を選ばず、日の出に向かって歩き出したあのラストは、「トラウマを乗り越えた魂は、無限の可能性(未来)へ歩き出せる」という、デル・トロ監督からの最も希望に満ちたメッセージだったと僕は感じました。
🔵深掘り考察②:「ミア・ゴス一人二役」のヤバすぎる仕掛け
僕が「この映画、ヤバい!」と確信したのが、ミア・ゴスの「一人二役」の設定です。
彼女は、ヴィクターが想いを寄せる女性「エリザベス」と、ヴィクターの亡き母「クレア」を、両方演じていました。
これ、単なるカメオ出演じゃないですよね。
ヴィクターのトラウマの“始まり”は、出産時に亡くなった「母クレアの死」でした。
彼が「死の克服=生命創造」に取り憑かれたのは、突き詰めれば「母親を取り戻したい」という歪んだ願望だったのではないでしょうか。
そんな彼の前に、「失われた母」と「手の届かない想い人」が、同じ顔(ミア・ゴス)で現れる。
そして、クライマックス。
ヴィクターは、その「母であり恋人」であるエリザベスを、自らの手(の銃弾)で殺してしまう(たとえ、怪物をかばった結果だとしても)。
これは、ヴィクターの生命創造という行為が、母親への未解決のトラウマに突き動かされた、倒錯した行為であったことを、視覚的に示していたんだと僕は思います。
この「一人二役」の仕掛けと、その悲劇的な結末が、ヴィクターというキャラクターの深みを、とんでもないものにしていましたね。
🔵深掘り考察③:「真の怪物」は誰だったのか?
これは、この物語の永遠のテーマですよね。
ギレルモ・デル・トロ監督の答えは、あまりにも明確だったと僕は思います。
ジェイコブ・エロルディが演じた「怪物」は、生まれつきの怪物ではありませんでした。
彼は「純真無垢」で「心優しい」魂として生まれ、盲目の老人との交流で言語や音楽、「愛」を学びました。
彼が怪物に変貌したのは、ただ一つ、創造主である「父」ヴィクターに、生まれた瞬間に「拒絶」され、「見捨てられた」からです。
デル・トロ監督は、一貫して「怪物こそが人間的である」と描いてきましたが、本作はその集大成です。
真の怪物は、ヴィクター(父)です。
彼の傲慢さ、無責任さ、そして何より「愛するべき我が子」を見捨てた「父性の欠如」こそが、すべての悲劇を生んだ。僕はそう感じました。
そして、そのヴィクターという「怪物」を生み出したのは、彼を虐待した「父レオポルド」という“先代の怪物”でした。
本作は、「怪物性」が「虐待の連鎖」によって受け継がれていく様を描いた、恐ろしくも切ない物語だったんですね。
🔵深掘り考察④:「怪物は兄さんだ」— 羅生門スタイルの結末
この映画の構成、本当に巧みでした。
物語の前半は、ヴィクターの視点(回想)で語られます。
僕たち観客は、オスカー・アイザック演じる「ロックスター」的でカリスマ的な彼の苦悩に、感情移入します。
しかし、中盤で視点が「怪物」へと移った瞬間、すべてがひっくり返る。
僕たちが観ていたヴィクターは、実は「信頼できない語り手」であり、彼の芸術的パッションの裏で、見捨てられた「息子」がどれほどの地獄を味わっていたかを、僕たちは突きつけられます。
この「羅生門」的な視点の転換は、単なるテクニックではありません。
そして、クライマックスで死にゆく弟ウィリアムが放った「怪物は兄さんだ 」というセリフ。
これが、この映画の「答え」なんだと思います。
監督は、僕たち観客に「お前たちは、どちらの視点に立つ?」と問いかけていたんだと思います。
「才能ある創造主(ヴィクター)」の側に立つのか、それとも「見捨てられた被造物(怪物)」の側に立つのかと。
この構造によって、僕たちは単なる傍観者ではなく、この「父と子の悲劇」の証人にさせられていたんだと、僕は感じました。
🔴『フランケンシュタイン』【完全版】まとめ!

最後に、この記事で追ってきたポイントを【完全版】としてまとめますね。
デル・トロ監督の25年来の夢の企画!
R指定、「AI拒否」の手作り映像、ジェイコブ・エロルディの怪物、ミア・ゴスの一人二役など、期待値MAXだった。
観てみたら、ホラーではなく「壮大なゴシック悲劇」。
展開は遅いが、ジェイコブ・エロルディの「魂の演技」と映像美、そして「許し」のテーマに泣く傑作だった。
結婚式の夜、ヴィクターの銃弾が(怪物をかばった)エリザベスに当たり死亡。
弟ウィリアムも死亡。
地獄絵図に。
北極で、ヴィクターは「すまなかった、息子よ」と怪物に謝罪し死亡。
怪物は父を「許し」、日の出に向かって歩き出す「救済」のラスト。
本作は「父から息子への虐待の連鎖」を描いた物語。
ヴィクターの「謝罪」と怪物の「許し」によって、その連鎖が断ち切られる「救済」の物語だったと僕は結論づけます。
いやー、これは「面白かった!」と手放しで言える映画ではありませんでした。
でも、間違いなく「観るべき」傑作です。
「怪物」を、「恐怖」の対象としてではなく、「愛」と「許し」の対象として描いたデル・トロ監督の魂に、僕は心を揺さぶられました。
ジェイコブ・エロルディの演技は、今年の賞レースを間違いなく席巻すると思います。

あなたは、あのクリーチャーの「許し」を、どう受け止めましたか?
ぜひ、コメントであなたの考察を聞かせてください!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



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